「ストリートファイター映画、楽しみ?」この一言が引き金に…
r/REALSquaredCircleサブレディットに投稿された一枚の予告画像。ストリートファイターの人気キャラ・ガイルのキャラクターのビジュアルに対して、Grrannt(元投稿者)が投げかけた「Anyone else pumped for the Street Fighter movie?(ストリートファイター映画、楽しみにしてるヤツいる?)」という素朴な質問が、思わぬ大議論を巻き起こしました。
この投稿に、様々なコメントが殺到。その内容を分析すると、大きく3つの層に分かれていることが明らかになりました。そして、その対立の根底には「ストリートファイターという作品をどう実写化すべきか」という、答えのない問いが横たわっていたのです。
「これはストリートファイターだろ?」派 ― チープで、バカで、だから最高
「楽しいものが嫌いな奴ら」への痛烈な批判
議論の中で最も印象的だったのは、批判派に対する強烈なカウンターパンチでした。rvict33167は次のように述べています。
「これで確定だな。この界隈は楽しいものが嫌いなんだよ。3秒しか映ってないのに文句を言う。結局、失敗してほしいだけだろ。」
さらに辛辣なのがWORLDY2Jの指摘です。
「お前ら、世界一、陰気で悲観的だよな。」
この肯定派の特徴は、「キャンプ(camp)」というSNSでよく見られるスラングワードを褒め言葉として使うことです。キャンプとは、過度に誇張された演出やわざとらしい様式美を指す表現で、1960年代から映画批評で使われてきました。彼らにとって、ストリートファイターの実写化は「真面目に作る」ものではなく、「様式美として楽しむ」ものなのです。
「ひどすぎて逆に面白い」という逆説的な期待
Odddbaallは興味深い視点を提供しています。
「様式美全開で最高。『So bad it's good(ひどすぎて逆に面白い)』枠を期待してる。」
同じユーザーは別のコメントでも述べています:
「『ダメだけど楽しい』映画になる可能性が高くて期待してる。」
「So bad it's good(ひどすぎて逆に面白い)」という概念は、映画文化において重要な位置を占めています。『エイリアンVSプレデター』や伝説的なサメ映画『Sharknado』シリーズのように、製作者の意図とは別の形で愛される作品群が存在し、それらは独特のカルチャーを形成しています。
GranddaddySandwichの意見が、この層の考えを端的に表現しています。
「チープでバカで楽しそう。それでいい。ストリートファイター映画はこれで正解なんだよ」
他のゲーム映画との比較から見える希望
具体的な成功例を挙げる声もありました。Permanentear3は次のように期待を寄せています。
「『Twisted Metal』みたいに振り切れてくれたら当たり。」
Twisted Metalは2023年にPeacockで配信されたゲーム原作のテレビシリーズで、原作の過激さとバカバカしさを恥じることなく映像化し、批評家から予想外の高評価を得ました。
unnecessaryglazeは別の例を挙げています。
「実写版『スピード・レーサー』路線だったら最高。」
ウォシャウスキー姉妹が手がけた『スピード・レーサー』(2008年)は、公開当時は興行的に失敗しましたが、その極彩色のビジュアルと漫画的な演出が後に再評価され、カルト的人気を獲得しています。
「いや、さすがにキツい」派 ― それ、パロディにしか見えない
短く、冷たい拒絶する反対派
否定派の特徴は、その反応の短さです。
「絶対にない」Lanky-Camel6242
「無理」Confident_Counter_37
「ない」ntm1919
という一言コメントが、この層の感情を如実に表しています。
最も多くの支持を集めた批判的意見は、Dapper_Outside_4764のものでした。
「正直、期待してない。パロディにしか見えない。全然真面目に作ってるように見えない」
ゲーム映画の宿命論
この層の中には、より構造的な問題を指摘する声もあります。Lanky-Camel6242は次のように述べています:
「だからゲーム映画は失敗するんだよ。」
これは単なる批判ではなく、ゲーム映画というジャンル全体への諦めを含んだ発言です。実際、ゲーム原作映画の歴史は失敗の連続でした。1993年の『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』から始まり、『ストリートファイター』(1994年)、『モータルコンバット』(1995年)など、90年代のゲーム映画はことごとく批評的・商業的に失敗しています。
なぜ、ここまで意見が割れるのか ― ストリートファイターというIPの呪い
原作が持つ根本的な矛盾
ストリートファイターの実写化がこれほど議論を呼ぶのは、原作自体が持つ特殊性にあるかもしれません。格闘ゲームというジャンルは、そもそもがキャラクターの記号化と誇張の産物です。リュウの波動拳、春麗のスピニングバードキック、ダルシムの伸びる手足―これらは2D格闘ゲームという文脈では完璧に機能しますが、実写化すると途端に「どう見せるか」という難問が生じます。
真面目に作れば「なぜ道着で世界を旅しているのか」という疑問が生じ、道着以外を纏えば「原作への敬意がない」と批判される。この二律背反こそが、ストリートファイター実写化の宿命なのです。
1994年版の長い影
議論の背景には、1994年のジャン=クロード・ヴァン・ダム主演『ストリートファイター』の記憶があります。この作品は批評的には大失敗でしたが、ラウル・ジュリア演じるベガ(M.バイソン)の怪演もあり、後に「愛すべきクソ映画」として再評価されています。
luca13tの問いかけが本質を突いています。
「正直、じゃあ他にどう作れって言うんだよ?」
IP映画時代の観客の分裂
thedrizzle126(2upvotes)の指摘は重要です:
「このキャンプ路線を真剣に受け止めすぎ。狙いは明らかだろ(笑)。」
現代のIP(知的財産)映画は、原作ファンと一般観客、さらには「アイロニカルに楽しむ層」まで、多様な観客層を同時に満足させる必要があります。その結果、製作側の「狙い」をどう解釈するかで、作品への評価が180度変わってしまうのです。
Scavgraphicsの冷静な分析が印象的です。
「バカすぎず、ちょうどいいバカさに収まってる。バカだけど悪い意味じゃない。」
結論:現代における「B級映画」の新しい居場所
この議論から見えてくるのは、ストリーミング時代における「B級映画」の新しい立ち位置です。かつてはビデオレンタル店の片隅で埃をかぶっていたような作品が、今やNetflixのトレンド1位を獲得し、SNSでミーム化され、新しい形の文化的影響力を持つようになりました。
ストリートファイター映画が「愛すべきクソ映画」になれるか、それとも「ただのクソ映画」で終わるか。その答えは、製作陣がこの「不可能な期待」とどう向き合うかにかかっています。少なくともRedditでのこの白熱した議論を見る限り、人々がまだこのIPに何かを期待し、語り合う価値を見出していることは間違いないでしょう。